43 1月2日に話し合ったこと・考えたこと
今日は家族で討論のようなものをした。
兄に言わせれば、わたしは現代の若者とは程遠い感覚を持っているらしい。
考え方だってなんか古いらしい。
もっといろいろ具体的に書きたいけど言葉にすればするほどものすごくひねくれている人みたいで。でも自分とは違う考え方の人が悪いっていう風には思わない。むしろついていけない自分が悪いのかなとも思ったりもする。
まとめて言うと、わたしはとっても保守的らしいのだ。
昔がしあわせだったのだからそれを続けたらいいのにと思う。
面倒なことや面白くないと思うことを次々と捨てたり変えたりすることにすごく抵抗があるみたいなのだ。
でもそんな風な考え方をしていると、将来若者についていけずに、昔はよかった、と嘆く老害になってしまうぞと脅された。
そうなのか。。
今を否定したいわけではないけれど、いらないものを捨てて変えた結果が今ならば、昔の方がよかったと思う。
いらないものと思っていたものが、実はとっても大切なものだったってこと、たくさんあるんじゃないかなぁ。
なんだか前のブログでも同じようなことを書いたような気がする。
物でも人でも関係性でも何でも、新しくすることは、しあわせへの近道でもある一方で、何か大切なことから目をそらす逃げ道なのかなって。
でも私のだめなところはそういう風に考えるくせに、新しくなった今のいいところはちゃっかり享受しているところだ。こういうところが将来老害と呼ばれてしまうかもしれない要素なのかも。
昔はよかった、なんて言い方はしないようにしよう。
今のいいところと、昔のいいところ、どっちもを教えてあげられるような立派な大人になろう。
こういう話をたくさんしたいのにな。。。
将来どんな風な大人になりたいか とか
どんな風な生活がしあわせだとか
みんなはこういう話つまんないのかな。。
こんな話を穏やかに話せる人と、直接目を見て話し合って、お互いの意見は決して批判はせずに、お互いの意見のいいところを分け合って、また一つ成長できたと、そうやって一日一日を過ごしたい。
こんなに大きな話でなくても、その日の天気や食べ物やテレビ番組の話でも、自分の感じたことや考えたことを直接分け合いたい。そうやってしあわせを増やしていきたい。
願望だけをつらつら書き連ねてても意味がないから、きちんと実行していかなきゃ。
自分のしあわせは自分でつかむのだ!
おわり